志士って何さ
志士
身を犠牲にして国や社会のために尽くそうという、高い志をもっている人。 (「大辞林」三省堂より)

まぁ・・・幕末の時は大半がこのつもりで頑張ったのではなかろうか・・・ってもう結論かいって感じですが。

身を犠牲にするよーな事は今の時代そうそうないにしても、少しは社会の役に立つ事が出来たらいい事はない。私の性格上ボランティアの類は余り向いていないのですが、気づいた事から、出来る事からは何かしようと思っています。ほんの些細で当り前な事ばかりですけどね。例えば困っている人を見かけたら声かけるとか、ゴミが落ちてたら拾うとか・・・本当に実に些細な事ばかりです。でもやってみると現実にガッカリする事が多いです。近所のゴミ拾いをやった事があるのですが、拾っても拾っても落ちているのです。どう見ても人為的なゴミ。車で駐車中にコンビニで買った弁当を食べてそのまま捨てた様なものとか、最悪なのは拾えないゴミ。冷蔵庫や古タイヤが捨ててあったり、最近では放置されたナンバーのない車があったり・・・。当然私の手には負えないので、知合いの市議にお願いして片付けて貰ったりして。ほんのわずかな範囲しかやっていないのに、大きなゴミ袋2枚分の燃えるゴミと、1枚分の燃えないゴミが集まります。別にゴミを拾えとは言いませんが、捨てないって事は出来ないんでしょうかね。捨てる人がいるから拾う人が必要になるだけで、捨てなければ拾う人は要らないのです。拾いたくなかったら捨てなければいいのです。ゴミは叱るべき所に捨てればいいだけの話です。何時も平気でゴミを捨てる人を見かける度に思うのです。「この人は何時かゴミ清掃員になるだろう」と。何のゴミかは解りません。ただのゴミかもしれない。自分の心、もしくは人の心のゴミ清掃をしなくてはならなくなるかもしれない。とにかく捨てたゴミは自分に必ず返って来るはずだと。 私は志士でありたい。やっている事は超庶民でささやか極まりないけれど、志はしっかりと持っていたい。今のままではいけない。もっと人はすばらしいはずなのだからと。 ・・・ちょっと格好良過ぎて恥かしい。
2006年06月21日
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