小学生の頃、家に子供用の図鑑の中に「日本の歴史」があった。夏休みにパラパラと見ていたが、 当時日本史には全く興味のなかった私にとってとても衝撃を受ける内容があった。
「白虎隊」。自分と大して歳の違わない子供達が戦い、 破れ自害すると言う内容はひどくショッキングだった。妙に心に響いたまま年月は流れた。
大人になって免許を取り、ドライブ計画を練っている時、ふと目に付いた場所・会津。 日帰りするにはちょっと遠いのでやめたものの、子供の頃の強烈な印象を思い出した。 いつか行こうと思い、でかけたのはその1年後位になるだろうか。
簡単に歴史を話せば・・・・・・ 時代が大きく変化しようとしている江戸末期。 幕府を倒そうとする薩長と守ろうとする幕府の争い中で、ひたすら幕府に対して忠誠であった会津藩は、 徳川慶喜に振り回され、気がつけば国賊になっていた。集中猛火を浴びて攻められ、孤立し、 その中で幾つもの戦闘部隊が作られた。その中には後に娘子隊(じょうしたい)と呼ばれた 日本では珍しい婦女子が任意で結成した隊もあった。白虎隊はそのうちの一つで16歳前後の少年の集まりである。 この中の二番中隊の面々が最も有名な悲劇の少年達である。少年達はリーダーを失い、敵に攻められ、 食料もなく、疲れ果て、登った飯盛山から鶴ケ城(会津若松城のこと)が猛火に包まれて陥落したと思った (実際は陥落していなかったのだが)。傷付き、力尽き、生きて恥をさらすよりはと自ら命を絶った。 その中で唯一生き残った飯沼貞吉により明確に白虎隊の事が知られる様になったのである。 行ってみれば小さい山・飯盛山。今じゃ建物だらけで尚更城なんて見えないよ。 でも見えたんだろうなぁ。煙だらけの中で・・・。画像は古写真で傷だらけの鶴カ城。 結構ショッキングな写真だった。30日間の猛攻に耐えた城の最後の雄姿と言う所か・・・。 |
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2001年12月20日 |