会津の中でただ一人戦う事を反対した西郷頼母。 家族は篭城の際、壮絶な自害に果てた。現代を生きる私としてはこの人ほど本当の勇者はいない気がします。 しかし当時それが受け入れ難い事だったと言う事も時代を考えれば理解る様な気がしました。 観光地となっている武家屋敷では西郷頼母邸が復元されており、その全貌を垣間見る事が出来ました。 私は古い住居に興味があり、機会があれば必ず見るのですが、どうしても気になる箇所があるので、必ず探して覗いてしまいます。時代劇のテレビでは到底見れそうにない場所です 画像は頼母の専用厠。そうトイレです。 昔の人のトイレや風呂場って余り取り上げられないのですが、生活には必要じゃないですか。 私はどんなもんなのか知りたくて昔の建物を見ればトイレと風呂場ばかり探しています。でもここまでちゃんと紹介されてるのは珍しいです。 さて頼母さんちのトイレですが、さすがに家老ともなるとトイレも立派です。 塗り物の便器に畳張り。広さは1畳強って所でしょうか。手前には手を洗うスペースらしきものと、 着物を調える為なのか2畳程の広い空間があります。 外からの画像はトイレの構図とも言いましょうか。 レールに車のついた台車付の平たい木箱があって、その木箱の上には砂が敷いてあります。 その木箱に用を足したものが落ちるわけですが、それを使用人が担当医の所に持って行き、 担当医はソレを見て主の健康状態を管理するのだそうです。ひょえ〜〜〜と言う感じですが、きめ細かい日本人らしいと言えば日本人らしい。 でも病気ならいざ知らず、自分でも見たくないモン常に人に見られてるってのもね・・・・。 ちなみに画像は最初、写真をデジカメで撮ったものを掲載していましたが、今回の修正に当り、デジカメで撮った画像に差し替えました。 ついでに一般用の厠はこれです。暗くてかなり見難いですけど、当り前だけど和風で綺麗なだけの普通のトイレです。 |
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2002年05月11日 |