土方北征-会津編-
勝海舟邸跡付近
勝海舟邸跡付近
流山で新選組が分かれた後、土方が向った場所。
この時土方は勝海舟に助命嘆願と引換えの約束をしたので真っ直ぐ会津に向わなかったのではと言う話です。碑があるトコでも何でもないのですが、この辺り一帯が勝邸だったらしいので一枚。
鴻の台・総寧寺
市川市国府台・総寧寺
4月11日、土方が島田魁らと旧幕軍に合流した鴻の台・総寧寺。
今は殆ど公園ですが、広い敷地が川に面していて綺麗な場所でしたよ。
大林院跡付近
大林院跡付近
12日、土方はここで先鋒軍参謀に選出され、宇都宮に向った。
面影は全くありませんが、この消防署が大林院跡だとか。宿場町って感じもなかったかなぁ。
小金宿
小金宿
先鋒軍が宿陣した場所。
一応通りに「小金宿」とあり、今でも残している旅籠があったので、撮ってみました。中が観てみたい・・・。
布施弁天・東海寺
柏市布施弁天・東海寺
13日、利根川手前に宿陣した場所。川は翌々日に渡ったとか。
本当に町の端っこって感じで現在は近くに有料の橋が出来ています。「布施の渡し」があったと言う事ですが痕跡はなし。東海寺は当時からの建物らしいですが、改修工事中で残念ながら入り口の見た目良くないし(;_;)。
水海道
水海道
15日、水海道に宿陣。
よくある事ではあるけれど、なーんにも痕跡がないので駅付近で一枚撮りました。
宗道
宗道
16日、宗道に宿陣。島田魁が使者となり下妻藩に兵を要求しに向う。
ここも小さな駅があるだけの町ですが、雰囲気のある神社を見つけたので撮ってみました。説明書きの「宗道」が欲しくて正面じゃないし。
下妻
下妻
17日、秋月が下妻藩に兵を提供させた。
跡地は住宅街で何もないらしいですが、その跡地も何処だか判らなかったので、雰囲気ある建物を撮っただけです。
下館
下館城跡
土方は下館藩に兵糧を提供させ、下館城下で秋月軍と合流した。
城跡には幾つかの碑やら建物があるけれど、とりあえず関連してる城跡の碑の画像だけ。
宇都宮城跡
宇都宮城跡 宇都宮城跡
19日、先鋒軍が攻め込んだ宇都宮城。
画像は差し替えてません(2006/06/08)。ので復元工事中の冴えないままです。今でも完成はしてないと思いますが、もう少し影か形位はあると思うんですけど寄らなかったので。この時宇都宮藩が城を焼いたと言うので、それ以来何も無いって事なのかな。
万福寺
三川町・万福寺
勝利したものの城が焼け落ちたのでここで宿陣する事になった。
翌日20日、旧幕軍本隊が到着した。ここは当時の建物だそうです。この寺もさることながら周囲の家が旧家っぽくでかいわ、古いわで、当時も大きく変わってない様に思えます。
二荒山神社
宇都宮市・二荒山神社
23日、新政府軍が宇都宮奪還城の為に攻撃開始し、土方が最初指揮をとった場所。
怪我はその後城に戻ってから。社はこの時に焼けて当時のものではないそうですが、旦那が余り歩けない状態の上、余りの階段に登る気が起きず。おまけに急に大粒の雨がボタボタ降ってきたので即行車に戻りました。一日目ルートはここまでです。
今市仮本陣
今市宿付近
足を負傷した土方が護送された場所。旧幕軍は敗走。
今市宿の看板はありましたが、あえて仮本陣はここにあったのではないかと言われている場所で一枚。史跡巡りルートは二日目で実際は会津から逆に走ってるので、実質これが最後になった場所です。ま、どうでもいい事ですけど。
田島陣屋
会津・田島陣屋跡
土方が同じく負傷した秋月とここから別行動になった。
この頃の日付ははっきりしてないです。本当は陣屋はここではなく、戊辰戦争の準備で違う場所に移動したそうです。ま、これしか偲ぶものがないので・・・。
大内宿
会津下郷・大内宿
26日、土方宿泊。
充分過ぎる程当時を偲ばせる会津では超有名な観光スポットですな。ここは大河ドラマ「新選組!」で本庄宿として使われてましたねぇ。水は冷たいし空気は綺麗だし。気温24度しかなかったのに日に焼けました。
会津・清水屋
会津若松・清水屋跡
29日、会津入り。清水屋跡の画像は他でもアップしてますけど、最終地点なので入れておきます。今回撮った画像なのでちょっと違うし。この通り沿いに斉藤一の眠る阿弥陀寺があります。
おまけと後記
豊田城
常総を通った時に国道から見えた城。豊田城と言う城を模しただけの地域交流施設らしい。
結構大急ぎで回っても2日かかっちゃいましたねぇ。気候はこのくそ暑い猛暑の中で恵まれた涼しさだったんですけどねぇ。と言っても涼しかったのは宇都宮から先だったかな。一番低かった時は20度しかなく、宇都宮から高速乗った途端に土砂降りの物凄い雨でした。その日は東京も29度で良かったんだけど…。
2006/06/08(更新2007/08/21)


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