浪士組上洛ルート-Part1- |
新たにルートを辿り直しました。画像は新旧両方使っています。新たに加えた画像は大きめになってますので、クリックして大きい画像を見て見て下さいね。
尚、中山道ルートですが、本当の中山道は現存しない箇所や歩きでないと行けない場所などがありますので、私が通ったのはあくまで車で通れる範囲での旧道です。
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傳通院
文久3年2月8日。浪士組が京に旅立つスタート地点はここ。広い敷地に230名もの浪士がここにうようよ集まったんですねぇ。 |
蕨
8日蕨宿。大宮と記載してるものもあるんですが、どっちなんでしょうね?一応こちらに重点をおいてみました。 |
大宮
大宮宿。名残りは余りありません。大宮駅付近。本陣跡はあるらしいですが…。 |
鴻巣
9日鴻巣宿。昔ながらの古い建物は綺麗に整備されてます。全体的に綺麗に整備されてる町って感じですね。 |
本庄
10日本庄宿。芹澤鴨が暴れた場所は何処だか不明です。上に残した以前の画像の辺りでしょうかね?本陣跡とかは碑のみです。 |
松井田
11日松井田宿。本陣跡は全く何もないです。通りに面影はあるので風情はあります。 |
追分
12日追分宿。風情ありますねぇ。浪士組の面々はここを通ったのかぁと感慨深くなります。 |
長久保
13日長久保宿。前回何もないと言ってましたがとんでもなかったです。逆にこう言う地味な宿場の方が遺している様に思われました。 |
下諏訪
14日下諏訪宿。今は結構盛んな場所ですが、当時はどうだったのでしょうか? |
おまけ
和田峠にある中山道の古道の入り口です。昔はこんな所を歩いたんだなと言うのが判ります。時間があれば歩きたいと思うのですが、なかなか気持ちの余裕がなくて・・・。 |
後記
一日で行けたのは傳通院から下諏訪まででしたねぇ…と言ったのは前回の話。でも実際は一日で行けるのはバイパスも含む新道の中山道を走っての事で、旧道を使ったら車でも一日では下諏訪まで行けません。
傳通院から軽井沢まで行くにも新道の中山道を通りました。いわゆる「旧中山道」と言われている場所でも江戸末期からの道ではなく、本当の旧道はもっと違う道が多いと言う事です。
今回追分から下諏訪までは結構旧道を通ったので時間がかかりました。昼食タイムと撮影タイムも入れて6時間は走ってましたかね。
それでも歩行でなくてはダメな場所は使ってませんので、いよいよそっちもやってみたい衝動に駆られています。困ったもんだ・・・ |
2006/08/15(更新2008/09/07) |