上野戦争・原田左之助 |
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上野戦争は原田左之助が新選組を離れ、永倉新八と結成した靖義隊を離れ、彰義隊に入り参戦した戦い。ここで銃弾を受けて果てたと言われているのが一般的。満州で馬賊の頭目になって、日清・日露戦争で日本軍をバックアップしたと言う話も残っている。ちょっと嘘臭い気はするけど。墓がないから正確な話がないのだろうと思う。永倉新八が寿徳寺境外墓地の碑に名前を刻んだだけ。 |
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上野・彰義隊の慰霊碑 夜に行ったので暗くて判り辛くてすみません。すぐ近くにホームレスさんが寝ておりましたので、とっとと撮って帰りました。 神保山城守邸跡 上野戦争で被弾した後、ここに運ばれて来たらしい。一日中苦しんで死んだそうだけど、そんな話が残っているならやっぱり上野戦争で死んだのではなかろうか? |
寛永寺・黒門 上野戦争の中心となった寛永寺の黒門が、現在荒川区・円通寺に移され現存している。墓や供養塔などが固まって乱雑に並ぶ狭い敷地の前にドンっと置かれている。 寛永寺・黒門の弾痕 模様の様にポツポツとついてる穴。よく観ると全部弾痕だったりする。ガトリング砲で攻められたらしいのだけど、どうりで尋常じゃない弾の数。今ならマシンガンや散弾銃があるから、こんな風になるだろうけど、当時は大変なものだったろう。勝てるわけがない…。 |
大河ドラマの原田左之助は実際の左之助と同じ様かもしれない。もう少し短気だったかもしれないけど、乱暴者で豪胆だった割りに奥さんであるまさを非常に大切にしたと言われている辺りが。 |
2006/05/17 |