ヒロアカ考察 デクの個性

前回に引き続き考察してみたいと思います。
今回はデクの個性についてです。

No.306の冒頭、オールマイトがデクの傍でデクの感情を感じていました。その最後に「無個性の君の言葉が…言葉じゃなく」とありました。

デクは無個性だからこそOFAを余す事なく受け継げたので、今更別の個性を持っていたと言う事はないと思います。ただ個性ではなく人が本来持っている「心」の部分で、高い能力を持っているのではないかと思いました。轟くんを呪縛から救った「君の個性じゃないか」とか、エンデヴァーに「轟くんはあなたじゃない」とか、その都度人の心に残る言葉を発しています。オールマイトはOFAをデクと共有している事で意識を先代達に送る事が出来ていますが、多分それと同時にデクの心も共有して感じとれている気がします。
人は目が見えないと耳が良くなったり、勘が鋭くなったりして、足りない部分が補われたれりします。個性がある事が当たり前の社会において、個性がないと言う事は足りないものがあると言う事に等しく、それを補う為に誰よりも心が育てられていたのではないかと。
まぁ余り適切な表現が思い付かないので「心」と言う言い方をしていますが、究極に優しいヤツなので、その「心」をフルに使って最終的には死柄木を救い、AFOは倒すと言うのが結末にくると思います。死柄木の最後が生きているとは思えないのですが、心が穏やかになる事は間違いないだろうと。
ジャンプ16号の巻頭カラーでは死柄木とデクが並んで座っています。父親から抑圧され強い個性を爆発させた死柄木と、父親不在でも優しい母の下で育った無個性のデクと言う真逆の二人。デクの父親が出て来ない理由も対比させているのかなと思ったりしました。出張と言ってるけどほんとはいないんじゃないかと思えたりしますけどね。これだけ影も形も出て来ないのって父親としてどうよ?と、家族思いの緑谷家では有り得ない感じがするのです。親の存在は他のキャラでも割と出て来て、普通に良好な親子関係で表現されていて、独特ではあっても結果的に子供を大切にするシーンが多いです。轟家も闇深いなりに親子の姿を描いています。少年誌なんでその辺は読者の年齢層を加味しているのかなと思いますが…。
話が逸れたので戻しますf(^_^;)。相反した環境と感情を持つデクと死柄木の二人は、普通に考えたら相見えるのは難しいです。殆どの人は無理だと諦めると思います。ただデクの持つ能力が「心」であるなら、死柄木の持つ心の奥底にある「受け入れて欲しい」と言うシンプルな子供のままの気持ちに、ストレートに入り込む事が出来ると思うのです。ただ人は誰でも自分の真実を知る事は恐怖なので全力で抗います。そう簡単には介入する事を許しません。その闘いが暫くまだ続いて、AFOに抗えなくって、どうにもこうにもならなくなって、それでも「受け入れて欲しい」の気持ちが強くあって、そこで初めてデクを受け入れるんだろうなと。デクに救われて生きるのか死ぬのかは全く読めませんけどね。破壊の個性がデクのものになって、それでAFOを倒したりして。うーん、デクも死にそう…(-_-;)。

個性が突然発現した様に個性の次の能力が出て来る時期なのかもしれませんね。その中においてデクは無個性ではあるけど、もっとも最新のミュータントだって事で終わるかもしれない…。
えぇ、私の勝手な憶測で自己満足の証拠残し作業です。

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